Vol.24

 ついこの前まで、コタツをして電気毛布で寝ていたのですが、最近では扇風機を出そうと思うほど暖かくなりました。飛騨の春は短くて、桜や梅もせわしなく咲きますね。今年は、庭先の梅の花が桜に開花を追い越されていました。
 今回は、久しぶりに話した学生時代の友人から聞いた職場でのいじめから、気付いたことをお話ししたいと思います。
 皆さんは、
学校や職場でのいじめを目撃したり、いじめたり、いじめられたりした経験はありますか?無視したり、伝えなければいけないことを伝えなかったり、仕事を教えなかったり、悪口を言いふらしたり、いじめにはいろいろありますよね。でもいじめている本人は、これは「教育」であって「いじめ」じゃない、って思い込んで、自分が「いじめ」をしている事実に気付かないこともあるんじゃないでしょうか。
 ここで「いじめ」に定義について考えてみたいと思いますが、自分が「いじめ」じゃないと思っていても、相手が「いじめられている」と認識すればこれは「いじめ」となります。反対に、傍から見ると厳しすぎると感じても「いじめ」にならないことがあります。たとえば、師匠が弟子に試練を与えたり、親が子供を厳しく躾けたりする場面は厳しくても「いじめ」とはとらえません。むろん虐待などは論外ですが、こうした場面には愛情の裏付けがあるから「いじめ」ではないのです。
失敗してもそれを受け止めて責任を取るだけの覚悟があって初めて、愛の鞭が打てるのです。
 「いじめ」は相手の気分を害するからいけないことなのはもちろんですが、
本質的には、それがめぐりめぐって自分の不幸の原因になっていることを知らねばなりません。そのことを知らないで他人をいじめる人は、不幸の原因を次から次へと作り続けるので、不幸な運命が次から次へと自分にやってくるのです。
 
私達の運命はどのように決まるのか考えたことがありますか?仏教では「因果の道理」といって、原因 (行為) と結果 (運命) の関係は宇宙の真理と言われるのです。いつでもどこでも変わらず成り立つ法則なので真理といわれるのです。私たちの心の中にブラックボックスのような心(蔵の心といわれます)があって、「心で思ったこと」「口で言ったこと」 「体でやったこと」が全てエネルギーとなって収まっていて、それが私たちの運命を作っていると教えています。つまり、良いことを思ったり、言ったり、やったりすれば、良い運命がやってくるし、反対に悪いことを思ったり、言ったり、やったりすれば、不幸になるということです。ここで、重要なのがインプット(入力)とアウトプット(出力)が同じではないということなのです。だからブラックボックスと書いたのですが、誰かをいじめたら誰かにいじめられたというのならばわかりやすいのですが、誰かをいじめたら交通事故に遭ったというのは理解できませんね。種まき(行為)に応じた結果(運命)がやってくることがなかなか理解できないので、「いじめ」は、なかなか無くならないんですね。しかし、理解できるとか出来ないに関係なく、自分が蒔いた種は、必ず自分が刈り取らねばならないのです。
 
私たちが一番知りたい「自分の運命」は、誰かが決めるのではなく、自分自身で幸運や不幸の原因を作っているのです。まいた種は遅かれ早かれ必ず芽を出しますし、自分にやってくる運命は、過去に自分が作った原因によるものばかりです。だから、幸運な人生を望んでいるならば、周りの人を喜ばせることを考えてそれを実践すればいいのです。自分の幸せばかりを最優先に考えている人は、田植えをしずに遊んでいて、秋の収穫を夢見ているような人です。こんな人は賢い人でしょうか?賢明な人は、秋の収穫を期待するからこそ、汗水流して田植えをし、草取りなどの手入れに余念がないのです。
 この道理を理解して、実行に移すことが大事なことなのです。そうすれば、今よりもっと幸せな人生が訪れるはずです。
テレビの「今日の運勢」を毎日気にしているより、もっと確実に幸運になることが出来るはずです。
(2006.05.24/A.Tanaka)